月刊BOBの長寿連載、『日本全国売れっ子スタイリストを探せ!』。なかなか知ることのできない、リアルに売り上げが高い美容師さんの数字や取り組みを赤裸々に取材するこの企画。2004年に「人が好き!美容が好き!」というメッセージを掲げて始まり、名前や形を変えながら日本全国の200名近い美容師さんを紹介してきました。(現在の連載タイトルは「日本全国売れてるスタイリストを探せ!」)働き方、ライフプラン、キャリアプランのヒントが詰まっていて、掲載はいつも雑誌の後ろのほうですが反響の大きい企画です。
今回は月刊BOB2005年3月号掲載の第12回をご紹介します(記事内容はすべて、取材当時のものになります)。
全国売れっ子スタイリスト連載第12回 K-two(ケーツー)/大阪府大阪市]2005年3月号掲載
山﨑光平さんの売り上げデータ
プロフィール
やまざきこうへい/1976年10月12日生まれ。岡山県出身。関西美容専門学校を卒業後、大阪府内2店舗を経て2002年よりK-twoにスタイリストとして入社。勤続2年で心斎橋店店長に大抜擢。
サロンデータ
(株)K-twoエフェクト
創業:1990年5月
サロンスタッフ数:186名
入社1年後の2003年から、指名客200名を突破
以前勤務していたサロンでは、1カ月200万円の売上を記録していた。K-two入社から1年は、その記録もなかなか達成できなかったが、入社1年後からは徐々に最高記録を塗り替えていく。
アシスタントに人気がなかったら、サロンや僕の成績も伸びない
中途採用で入社した、関西の人気ブランドサロン。新参者のスタイリストのいうことを聞いてくれるアシスタントはいなかった。
「『あれやって』『あれとって』と指示しても誰もいうことを聞いてくれへん。辛かった。アシスタントを使えなかったら、売り上げなんて上がらない。もがきました。苦労しました(笑)」と話す山﨑さん。
アシスタントに認めてもらうのに、入社からちょうど1年かかった。ようやく指名客200人を突破したのも、そのころだ。そして店長を任された今も、やはり若い人とのコミュニケーションを大切にしている。閉店後は毎晩、若いスタッフとのコミュニケーションづくりに時間を使う。
「現在のぼくのテーマは、人間力のアップ。それがなかったらアシスタントが可哀相ですし、アシスタントに人気がなかったら、サロンや僕の成績も伸びません」
店長である自分に課している3つのルール
◆山﨑光平さんの3つのルール◆
①どんなことも自分のせいにすること(下の子が失敗しても、会計が合わなくても)
②天井をつくらないこと(自分に限界をつくってあきらめないこと)
③間違ったら素直に「ゴメン」を言うこと(特に後輩に対して)
スタイリスト5人に対して、アシスタントが23人いるサロン。しかも4人のスタイリストは全員先輩である。
新しい店舗がオープンし、心斎橋店のトップスタイリストが異動。さらに月に1000万円を売り上げていた先輩スタイリストが独立。心斎橋店は一気に客数、売り上げがダウンした。そんな時に店長を任された山﨑さんのプレッシャーは想像以上だ。
目標とするスタイリスト中森久壽さんの“謙虚な姿勢”とチャレンジャー精神が、自分に与えられたハードルを着実にクリアしていく鍵だと考えた。
「中森さんはあれほど上手なのに謙虚なんです。『ちょっと変えてみたんやけど、どう可愛い?』と、後輩の僕にも聞いてくれる。『うまいこといったと思って帰したお客なんて、1人もおらんし』と反省するし、すごいのは1人のお客に接している時間が10分です。マネしたいけど、今はまだ無理ですね」
それは、多くのお客さまからの予約が入る中森さんが、工夫をして少しずつ時間を削った10分だということをお客もわかっているからだ。
「今は1人のお客に30分かけています。でもきっといつかは10分で、というのが目標です」
当面の目標は月500万円の売り上げ。30歳までには1000万円の突破を目標に掲げている。
「美容の仕事は、1人じゃ何もできない。スタッフ、仲間が宝です」
技術も接客もまだまだ、と言いつつ、着実に目の前のハードルをクリアしていく山﨑さんの挑戦は続く。
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