月刊BOBの長寿連載、『日本全国売れっ子スタイリストを探せ!』。なかなか知ることのできない、リアルに売り上げが高い美容師さんの数字や取り組みを赤裸々に取材するこの企画。2004年に「人が好き!美容が好き!」というメッセージを掲げて始まり、名前や形を変えながら日本全国の200名近い美容師さんを紹介してきました。(現在の連載タイトルは「日本全国売れてるスタイリストを探せ!」)働き方、ライフプラン、キャリアプランのヒントが詰まっていて、掲載はいつも雑誌の後ろのほうですが反響の大きい企画です。
今回は月刊BOB2005年1月号掲載の第10回をご紹介します(記事内容はすべて、取材当時のものになります)。
全国売れっ子スタイリスト連載第10回 ART.MONDE HAIR(アールモンドヘア)/北海道北見市]2005年1月号掲載
越田真喜さんの売り上げデータ
プロフィール
こしだまき/1975年2月9日生まれ。北海道北見市出身。北見美容専門学校を卒業後、(有)ヘアショップ新世界に入社。東京の美容室2サロンの採用通知を受けながら、美容学校時代にアルバイトしていた地元ナンバーワンサロンである同社に入社した。決め手はサロンのファミリー的な雰囲気。取材当時、ART.MONDE HAIR店の主任として活躍。
サロンデータ
(有)ヘアショップ新世界
オープン:1981年
スタッフ数:39名
コンスタントに高い指名客数と指名率
スタイリストになって最初の壁は、70万円/月の売り上げ。デビューして1年後には100万円の壁、150万円の壁。
スタイリスト1年目から、フリーのお客にリピートしてもらうことを重要視してきた結果、コンスタントな指名客数と指名率の高さを維持できるようになった。
「絶やさない笑顔」と「シャンプー」が武器
「アシスタントとしては、かなり生意気だったかも。もちろん今もですが(笑)」と話す越田さん。
美容師を辞めたいとは思ったことはないが、乾燥肌なのでシャンプーの手荒れがひどかった。それでもシャンプーは得意で熱心に練習していた。スタイリストになってからも、チーム制(スタイリスト2名、アシスタント2~3名)をひく同店では、お客が多い時にはゴム手袋をはいてシャンプーにも入る。
「先日、お客さまから『やっぱり違うね』と言われました。ゴム手袋のことかと思って『すいません』と謝ったら、『いや、そうじゃない。相変わらず上手ね』と、ほめてくれました」
周囲からも褒められる笑顔と、アシスタント時代からこだわっていたシャンプーが、スタイリストとなってからも越田さんを支えている。
100万円の壁は、お礼のDMと自作のスタイルブックで
「接客に自信がなくて、特に年配のお客さまが苦手でした。私、童顔ですから、若く見られてイマイチ信頼してもらえなかった」スタイリスト1年目をそう振り返る越田さんは、絶対的に足りなかった経験値を練習で補いながら、フリーのお客をいかにリピートさせるかに知恵を絞った。
具体的には、新規客・リピート客へのお礼のDM、ごぶさたDMを積極的に書いた。自分でスタイルブックをつくり、お客さまとスタイルイメージをしっかりと共有することも心掛けた。
「いつもと同じで」と言われても、提案することで乗り越えた150万円の壁
「おまかせ客」の増加は、売れっ子スタイリストの道が開けた合図。そのキッカケをつくったのは、新店舗への異動だった。新規客が一気に増え、リピート客も大幅に増加していった。
「いつもと同じでいいというお客さまも、本音はスタイルチェンジをしたい。提案してあげると『じゃぁ、やってみて』『いいわ』となるケースが多いんです。このパターンに入れば、次からは『おまかせ』になっていく。女性はみんなそうだと思います。自分がそうですから、自分がしてみたいことを提案してあげます」
指名客300名×客単価7000円=210万円をコンスタントにクリアしていきたい。
目の前の壁をいつも笑顔で飛び越える、越田さんの売れっ子スタイリストの道は、続いている。
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