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転機があるほど、人は成長するという話 ーfavorite garden齋藤隆志の場合ー

 

hair design & photo : Takashi Saito(favorite garden), styling : litmus
齋藤さん
齋藤さん
みなさん、こんばんは。favorite gardenの齋藤です! 今日は僕自身の“美容師人生における転機”をまとめてみました。僕の場合“転機”=自分の才能や行動力のなさを突きつけられ、最高に悔しい思いをしたこと。ということになりそうです。ただそういう苦しい思いが成長につながったのは間違いありません。もう1つは、行動しなければ“転機”すら訪れないということも確かです。誰かの参考になれば幸いです!

 

転機1:全国大会で見かけた、結果発表を震えながら待つ美容師さんの姿

favorite gardenをつくる前、今から約15年前、山陰エリアに7店舗・従業員100人ほどの会社に勤めていました。社内コンテスト、ヘアショーも毎年実施していて、そこにはお客さまも1000人規模で入るような人気のサロンでした。社内セミナーも東京から人気の美容師さんを講師として呼んでくれ、自分で情報を取りに行く必要性がないほど恵まれた環境におり、そのことにすら気づいていませんでした。

社内のコンテストでは、在籍していた7年間のうちに2度優勝、準優勝1度、そのほかの年も何かしら賞を取っていたので、正直天狗になっていました。

そんな時、会社からお願いされて、当時始まったばかりのメーカーのコンテストの九州・中国・四国エリア大会に出ました。福岡で開催されたのですが、「大都会!!」とまず感動。周りの美容師さんが全員おしゃれに見えたのを覚えています(笑)

エリア大会の入賞者発表前、何の根拠もない自信で「上から10人には自分も入っているはず、けれどファイナルの全国大会には行けないだろうな」と思っていました。さらに、風邪をひいていて授賞式の途中で体力が尽きてしまい、いつまでたっても呼ばれない自分の名前に心も折れていました。そんな時、まさかの最後の1人で自分の名前が呼ばれました。かなり興奮したのを今でも覚えていて「わぁぁぁぁぁぁー!!」と。この初めて感じた興奮と気持ちも、今振り返れば1つの転機だと思います。

そして、東京で実施された全国大会。出られるという事実だけで満足している自分がいました。本当に甘かったと思います。結果、ある1人の美容師さんがほとんどの賞を1人で受賞してしまい、グランプリも当たり前のように受賞するわけですが、グランプリの発表の時、僕はあるシーンに遭遇します。その美容師さんが、グランプリ発表の際、モデルさんと手を繋ぎ震えながら祈っていたんです。

それを見て、あ……自分は、この美容師さんのように熱意も想いもこのコンテストにかけてない……足元にも及ばない。自分の存在や考え方が本当に恥ずかしくなったのでした。

 

転機2:「JHA」でグランプリを受賞した美容師さんの挨拶「夢のようです!……って思えないほどの努力をしてきました」

その全国大会から約10年後、その時グランプリを取った美容師さん(Vi・a hairの北尾光生さんです!)は、美容業界の最高峰ともいわれているコンテスト、2011年「JHA」でグランプリを受賞されました。その時の北尾さんの受賞コメントが、僕の美容人生の第2の転機だと思います。

「夢のようです!!!!……って思えないほどの努力をしてきました」と。

痺れるという感想以外思いつかなかったです。それから1~2年後、業界誌でもたくさん北尾さんを拝見することが増え、記事を読むと、自分と変わらない地方にあるサロン。え? 僕がもし来年「JHA」でグランプリを取ったら、自分もそうなれる? って思った瞬間でした。まずはコンテストでグランプリを取ろう、そっからのし上がってやる! そのことだけを考えて、コンテストに挑戦を続けました。

 

転機3:作品を見てもらう度に「ダサい」と“ボロカス”に言ってくれる美容師さんとの出会い

僕がコンテストに挑戦していた時は、mixi全盛期。作品をアップして評価をしてもらうというグループがありました。そこで出会った人、色々とアドバイスを貰った人など、本当に財産だと思っています。グループである美容師さんを紹介していただき、会ったこともないのに、その方は僕に1時間以上熱く語ってくれました。

その方が運営していたコミュニティで作品をアップする日々。で、まぁ“ボロカス”に言われるわけです(笑)なのに、自分のmixiの日記の方に同じ写真をアップすると「素敵!」「かわいい!」とかコメントが入る。

ある時その美容師さんが言ったんです、「齋藤くんがどこを目指しているかによりますが。かわいい、素敵ってコメントする人とは縁を切ったほうがいいですよ。あなたにとって本当にいいひとは、言いにくいことも言ってくれる人だ」と。

その方が褒めてくれた作品は、100%結果が出るんです(賞入ったりするんです)。見る目を持っているのは、僕でもわかる。でも、そのコミュニティに作品をアップするのをやめようかな…って思うぐらい凹む時がほとんどで。けれど「業界誌に載りたい! グランプリを取りたい!」という気持ちの方が強くありました。

僕に才能があったから? 元々上手いんだよね? そんなことはないってことです。ダサい作品をつくり「ダサい」って言われていたので(笑)。毎週のように作品を作っては次の撮影のことを考える毎日でした。

 

転機4:友人のカメラマンに言われた「お前はブレてるよ」

それでも、どうしても「JHA」だけは手が届かなかったのです。撮影と同時に、業界誌への持ち込みも頻繁にしていました。一回の持ち込んだら次の持ち込みまでにできるだけ作品の数を増やそうって思い、作品撮りにも励みました。

業界誌2誌から撮影の依頼をいただき、当時東京の第一線で活躍していた友人のカメラマンに撮影をお願いしたんです。その撮影の打ち上げの時「お前はブレてるよ」と。「雑誌にもっと載りたいなら、なんで東京来ないの?」って。「地元に残らないといけない境遇や環境の人もいる、そんな人のためにもローカルでもこれだけできるんだってみせたい」と言い返したりもしたのですが「そんなの関係ない、お前がどうかなんじゃないの?」と。

あの日の夜は本当に悔しかったです。絶対ローカルから見返してやる! と強く誓った日でした。

 

転機5:「D.D.A.」と「svk」に通って気づいた、人の倍やれば結果がついてくるということ

当時studio Vに所属していた川原文洋さんが率いる「svk」には第5期生として通いました。鳥取からの交通費と受講料で250万~300万くらいかかったんですが、それよりも“本物”になりたいという気持ちと、その金額以上に価値のある機会にしようと思い参加を決めました。

転機1の後、「D.D.A.」にも通っていました。どんなセミナーでも「行けば自然とうまくなる」ってことはないんです。全ては自分次第で、うまくなろうと思う気持ち、もっともっとと貪欲な人しか上手くなれないと気づかされていたんですよね、そのことが「svk」への参加を決断させてくれました。

今思い返すと「D.D.A.」のセミナーにも転機がありました。参加した際、一番最後に生徒として教室に入ってきた美容師さんが、すでに業界誌でも活躍されている方でした。その方が、スーツケース2個分の準備物で入ってこられたんです。その準備物の多さに、本当に自分が恥ずかしくなりました……。もちろん自分も準備はしてきていました、モデルに着せる衣装には時間もお金もかけていて自信もありました。けれど「才能でも露出でも、技術でも負けているのに、なんでやる気や想いも負けているんだ」と悔しくなりました。ホテルに帰り、デッサンしまくったのをよく覚えています。

セミナーでは宿題が出ることも多かったのですが、「svk」に通うようになったころには「8回の宿題で8回しかできないやつは、アホだ」とすでに気づけていました。(もちろん考え抜いた8回と、何も考えない16回なら話は違います)ただ習いに行って出された宿題をこなしただけで、上手くなるわけがありません。「習いに来てるなかで一番伸びてやろう」「最低でも出された宿題の倍はやっていこう」と思い、実際にそう行動できるようになっていました。

そしてその年、憧れていた「JHA」には気づいたらノミネートしていました。2010年から2019年まで、スタッフのノミネートも含めたら1回しかノミネートから外れたことはないです。(スタッフの作品は撮影とメイク、アイデアも一緒に考えたりしたという意味で……笑)

「人の倍はやる」って決めてから、業界誌の依頼もいただけるようになりました。2005年当時の自分が目標としたところまでは何とか登ってきたという感覚がありました。

 

転機6:自分の中に生まれた「ただ、誰よりも上手くなりたい」という気持ち

今から8年ほど前には、コンテストにも出せば入る、業界誌の撮影依頼もくるようになっていました。そんな時壁にぶちあたりました。結果を出すため、コンテストのためだけに作品をつくるということがよくわからなくなってきたんです。自分がいる地方という場所で、地方でもこんなに活躍できることを見せたいという思いは変わらずに持っていたのですが。

その壁は「日本でトップにいる美容師さん達が、僕のことを気にしているぐらいにならなければダメだ」という気づきからきているものでした。そもそも、そういう方たちよりも、自分はいいものをつくらないと自分のお客さまに失礼だと思い始めました。その時から作品づくりも、モデルはリアルな日本人、ハーフのモデルさんの場合でも地毛を切らせてくれたり地毛でデザインさせてくれる方に絞って撮影活動を始めました。

ある時からコンテストにも出さないようになりました。入賞して注目を浴びたいとかではなく、ただ上手くなるためだけに作品撮りをしようと決めました。そして2020年もその想いは変わらず、今の僕があります。

 

正直、今も僕が成長しているかどうかといわれると、自分ではわかりません。ただ変化してはいると思います。僕の過去の経験から、確かに言えることは“転機は多ければ多いほど成長する”ということ。結果がついてこない、出ない場合は「自分のやってなさ、自分の下手さ」に気づかないようにしているのではないでしょうか。一度、自分が下手だ、自分には才能がない、自分は目標のための行動ができていないと認めるところから始めることをおすすめしたいです。もしも、あなたが結果を出したいなら。

 

齋藤隆志[favorite garden(フェイバリット ガーデン)/鳥取県・米子市、広島県・広島市]

さいとうたかし/1976年1月15日生まれ、鳥取県出身。松江理容美容専門大学校通信課程修了。2004年、鳥取県米子市にfavorite gardenをオープン。2017年広島に2店舗目を出店。JHAファイナリストの常連で2015年、2019年にはAREA STYLIST OF THE YEAR、中国・四国エリア賞を受賞。facebook、instagram、noteなどのSNSで発信する歯に衣着せぬ物言いは多くの美容師の指針となり、つくりだされる作品は多くの美容師ファンを持つ。

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