「ヴィダル・サスーン」が最も世界の美容に感動とインスピレーションを与えたのは、1960年代から70年代にかけてだった。今でこそ当たり前の「スインギング・ヘアー揺れ動く髪」は、ヴィダル・サスーンという人物の存在しなかったかもしれないし、現代の女性たちのヘアスタイルも違ったものになっていただろう。小社から2011年7月に発売した『ヴィダル・サスーン自伝』から、今こそ読み返したいサスーンの言葉を紹介したい。
今回は、サスーンが26歳(1954年)で自分のお店をオープンし、マリークヮントのヘアショーのヘアを担当するまで(1957年)の第4章、第5章からの言葉を抜き出した。オープンからわずか1年後、「ヴィダル・サスーン」は6人のヘアスタイリストと8人のアシスタントを抱えるチームに成長した。さらに、ハイライト・ローライトの方法を開発した世界的にも有名なヘアカラーリストのアニー・ハンフリーが「ヴィダル・サスーン」組織に加わったのもこの頃だ。「エイシンメトリック・イサドラ(1969年)」「ザ・ムーシュ(1969年)」「ザ・ヴェール(1970年)」などの偉大なヘアスタイル作品を生み出したロジャー・トンプソンもこの時に採用した。サスーンは何を考えどう行動していたのか、今を生きる美容師にもヒントになることが多いはず。なぜなら、美容を勉強することはサスーンの人生そのものを知るということだからだ。
サスーンの名言1:
「教える機会を持つたびに、謙虚に自分を表現する方法が学べる……(中略)つまり、いかにして見る者を惹きつけるか、ぼく自身も学ぶことができるからだ。ぼくは教えることを楽しんだ。教えることで、反対に教えられることもある」
サスーンの名言2:
「建築が素晴らしいインスピレーションを与えてくれること……(中略)建築がフォームやシェイプをクリエイトし、都市自体をデザインしていく。偉大なファッションデザイナーたちは洋服をシックでモダンにデザインする。しかしながらヘアスタイルはまだ発展途上で、しかも停滞気味であること。従来とは異なる革新を必要としていること―。それを変えるのがぼくの使命だと感じていることを熱く語る。アートとしてのヘアスタイルを夢見ていた。それを他のアートにつなげたいと切望していた」
サスーンの名言3:
「ぼくは最初からひとつの重要なルールをつくって、それに従うことにする。サロンではコンサバティブなヘアスタイルは手がけないこと―。つまり、コンサバからコンテンポラリーな美容の世界への船出だ。ぼくらが持っているすべてのアートな才能を、カットに注ぎ込むこと。それに全力を尽くすこと」
サスーンの名言4:
「当然ながらヘアスタイルはその人の骨格、体型に合うものでなくてはならない。そうしなければ、その女性特有の美しさを引き出すことはむずかしい。そのことをしっかりと説明して、理解していただくことを徹底した……(中略)映画女優をまねするよりも、その女性に合った素敵でオリジナルなヘアスタイルを提案してあげたい」
サスーンの名言5:
「ハードに働くことだけが成功を生み出すとわかっている。“ワーク”の前に“サクセス”がくるのは辞書で引くときだけ。普通は“働いた”後に“成功”がくる」
サスーンの名言6:
「ヘアカットの最中に、お客と会話に興じることはとても珍しい。だれかが話し出したら、ぼくは大抵こう言う。『おしゃべりをしたいですか。それともいいヘアカットをしてほしいですか?』そうすることで100パーセント、カットに集中できるからだ」
サスーンの名言7:
「一流ヘアスタイリストになるまでにはどれほど長い年月がかかるか……(中略)でもその期間を真剣に取り組めば、きっと成功するだろう」
サスーンの名言8:
「自分たちの職業の社会的地位を、ことさらに無理して高めたいとは思わない。しかしぼくらがやっているヘアデザインは、モダンアートの新たな可能性を模索していくのだ。間違いなくその一部を担っているのだという確信がもてる」
サスーンの名言9:
「次に教育するテクニカルチームには『ヴィダル・サスーン』の株を提供しようと心に決める。生涯のキャリアを通して、ずっと一緒にやっていけるチームがほしいからだ。これはぼくだけのビジネスではなく、みんなのビジネスだと感じてほしい」
サスーンの名言10:
「ヘアスタイルは、ただの洋服のアクセサリーだろうか。もちろん違う。夜になれば、洋服は脱ぎ捨てられてしまう。建築家が素晴らしい都市を創りあげるように、ぼくらはアングルとシェイプを、生きている骨格にクリエイトしていく方法を見つけなくてはならない」
『ヴィダル・サスーン自伝』第4章 ウエストエンド・ボーイ、第5章 マリーに首ったけ より抜粋
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